Shinakosan is Okinawan

1981年沖縄市生まれ、那覇市(のはずれ)育ちのウチナーンチュ。言語復興と脱植民地化が研究テーマ、琉球弧がフィールド。学生時代にルイジアナとハワイとロンドンに少し住んであとはずっと沖縄、時々旅人。琉球犬と暮らすのが夢、好きなそばはゆし豆腐そば。ビールとワインと泡盛があればだいたいハッピー。

城間みきこさんとママ達のランチ会

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トムヤムクンそば




【城間みきこさんとママ達のランチ会】に参加しました。デニーさんランチ会の時にも行った安里のオレンジカフェ。トムヤムクンそばがデージ美味しいところです。

 

多忙な選挙期間中に顔を出してくれた城間みきこさんが開口一番に言った言葉は「皆さんに伝えたいのはね、自分の人生を大事にしてくださいってことです」でした。私、鳥肌がブワーって立って、気を緩めたら号泣するんじゃないかと思うほどでしたw。

 

実は結婚して子どもができても大学院をやめなかった私には、義父の「家族を犠牲にしてまでやりたいことがあるんだよね」という言葉が、まるで呪いのようにまとわりついていました。数年前彼が他界した後も、育児と仕事の両立だけで精一杯で全然勉強できていないのに意地になって大学院をやめず、去年、晴れて(涙)満期退学(厳密に言うと再入学して博士論文を提出するチャンスだけ辛うじて残っている)になって初めて「あ、私自分を犠牲にしていたんだな」と気がつきました。

 

もちろん、他の人から見たら「あんたは家事も育児も適当だし、仕事もパートタイムだし、家族おいて海外旅行にも行ってるし、SNSばっかりやってるし、やらなくてもいい社会運動にもわざわざ参加しているくせにどこが『自分を犠牲に』だわけ!?」とお叱りを受ける生活なのは分かってますがw。大学院を一旦終えて分かったのは、私が真っ先に犠牲にしてきたのは自分の時間だったなということでした。

 

「仕事だから」というのは言い訳にできる、でも「本読みたいから」「論文書きたいから」と言って家族の時間を削る形で自分の時間を作る「勇気」を私は持ちきれなかった。そして3人の子どもが産まれ、私に似て喘息持ちで、保育園に入れない時期もあったし、登園しても代わり番こに熱出したりと、まぁ子どもがいる「普通」の日常の中で私は勉強する時間を捻出できなかったんですよね、勉強することは「贅沢」であり誰かを「犠牲」にしてやるものだという意識を改革できなかったんですよね。後悔がたくさんあって、惨めではあるのですが、一応、首の皮一枚繋がってるので、みきこさんの言葉に自分を奮い立たせて「また勉強再開しよう」と考えました、開始10秒くらいで私は色んなこと考えましたねw。

 

「もちろん、他の人は放ったらかして自分のこと優先しなさいということじゃないですよ、タイミングも色々あるはず、でもね、お母さんたちが自分の人生を生きることはとっても大切なことだと思ってますよ」と、みきこさん。シングルマザーとして二人の子どもを育てながら中学校の国語先生をしていたみきこさん、校長先生になり、香港日本人学校の校長先生もつとめ、教育委員長をやり、副市長になり、そして那覇市初の女性市長になったキャリアウーマン、けれども全然偉ぶってない、チューバーという感じでもない。いい意味で「近所のおばさん」風を吹かせている、自然体、すごく可愛い。

 

私は、二つのことを伝えました。

 

一つ目は、第1子の時と比較して城間みきこさんが市長になってから子ども未来課の対応が劇的に変わって、第2子、第3子とどんどん保育園に入りやすくなり、また今年からは兄妹でバラバラだった保育園を一箇所にまとめてもらえたりと、本当に目に見える形で保育行政が改善していると実感していること、その感謝。

 

二つ目は、小学校に入学した長男がいわゆる「小一の壁」で学童に入れなかったため、私が働き方を変えて午後は家で仕事をしているが、彼は私と遊びたい、私はパソコンに向かいたい、でうまくいかず困っていること。いっその事、となり近所の学童に入れなかった子達を集めてうちで学童始めちゃおうかとリサーチしたところ、補助金はあるが十分でないため保護者から高額な月謝を徴収しないと成り立たない仕組みだとわかったこと。子どもの居場所について再考して欲しいというリクエスト。

 

みきこさんは「私は待機児童解消を市政の一丁目一番地に掲げてきました、よくなったという声を聞けて嬉しい。保育園については少し光が見え始めているので引き続き待機児童ゼロに向けて頑張りたい。けれども数が足りていればそれで良いということではないんですよね、保護者の細かなニーズに対応し、子どもたちのための保育、保育園で働く人たちのことも考えなければと思っています。学童も本当にそうです、保護者の負担が大きいですよね。子どもの居場所はとても大切なので補助金のあり方についてももっと考えていかなくてはいけませんね」と返してくれました。

 

話は子どもの貧困に移りました。「家庭環境に左右されずすべての子どもたちが夢を持って成長していけるようにしたい。そのために基金を作りました、小中学校の就学援助や学習支援、高校生や大学生の奨学給付金がスタートしています。県と連携して保育の無料化や中学3年までの医療費の無償化も推進します。子どもの貧困は子どもだけの貧困じゃなく世帯の貧困、だから子どもたちへの支援と同時に親たちがしっかり稼ぐことのできる環境を整える、それも必要だと思っています」と話すみきこさん、「誰も取り残さない」と訴えたデニー知事の理念とみきこ市長の計画が合わさったらデージいい那覇になりそうです。

 

長くなっちゃいましたが、最後にもう一つだけエピソードを紹介します。参加者の「私はみきこ市長のレインボーなは宣言が一番印象に残っています、どうして取り組もうと思ったのですか?」という質問に「私は学校現場にいたのでね。必ずいるんですよ、この子はそうかなと思う子が。彼らがどういう人生を歩んでいくかということを考えた時に、これは人権の問題だということに気がつきました」と話していました。子どもたちをしっかり見てきたみきこさんだからこそ実現できたのかなと思いました。私たちはありのままでいいんだ、私たちは夢を持っていいんだ、私たちはチャレンジしていいんだ、とワクワクが止まりません。私は沖縄市生まれなのでアイデンティティはナーファンチュじゃないんですけれど、那覇市民であることを改めて誇りに思いました。

 

というわけで、ランチ会の報告でしたー。那覇市長選挙は10/21(日)です、20(土)までは期日前投票もできますよ。私は「産業まつり」に行く途中で投票に行ってこようと思ってます、皆さんもぜひ!

 

(すいませーん、ランチ会の様子撮るの忘れたので激辛トムヤムクンそばの写真を載せてみます←こっちは忘れなかったわけよw)

 

追記:一応名誉のために言っておくけど、義父は意地悪な人だったわけじゃないですよ。あの世代の普通のジェンダー観だと思います、そして目の前でその真逆を爆走する嫁(私)に戸惑ってはいたと思いますがwいつも協力してくれていました。これは自分がいつの間にか身につけて自分を苦しめているジェンダー観との戦いの話で義父が悪い人だったという話ではないですよ、念のため!!