Shinakosan is Okinawan

1981年沖縄市生まれ、那覇市(のはずれ)育ちのウチナーンチュ。言語復興と脱植民地化が研究テーマ、琉球弧がフィールド。学生時代にルイジアナとハワイとロンドンに少し住んであとはずっと沖縄、時々旅人。琉球犬と暮らすのが夢、好きなそばはゆし豆腐そば。ビールとワインと泡盛があればだいたいハッピー。

翁長さんの県民葬

f:id:shinakosan:20181022143228j:plain

 

秋休み中の長男と翁長さんの県民葬へ。

 

開始の2時前にはもう会場は締め切られていて外で生中継を見る。たくさんの人、パノラマで撮っても追いつかない、この写真の5倍くらいの人が会場の外で少しでもこの場を共有したいとの思いで集まっていた。安室ちゃんのラストライブもこんな感じだったのかな。子連れもチラホラいて、子どもが騒いでももちろん誰も怒らない、ニッコリ笑顔を向けて「子どもの笑うのはいいことだよさせなさい」と逆に私が諭される。知らないおばさんから水や飴が回ってくる、子どもをみんな大事にする。

 

デニーさんが沖縄県知事としてスピーチする姿に、もし県知事選挙が違う結果になっていたらと想像しそうなる自分を必死に抑えた。「翁長氏の意志を継ぐ」と誓ったデニー知事の誕生の重みを改めて噛み締めた瞬間でもあった。デニー 知事の「ミーマンティクィミソーリヨーサイ」のその自然な発声に涙が出た、共鳴した。そして数百人の人々が精一杯の力を込めて反応しないというアクションを起こす姿を、私は人生で初めて目撃した。もちろん安倍総理のコピペ作文を代読する菅官房長官に対する反応のことだ。何百もの人がたった一つの拍手さえ拒否してみせたのだ。

 

翁長さんのビデオを見て不思議な気持ちが込み上げてきた。保守の政治家、翁長さんのことをむしろ嫌いだったあの頃、翁長さんの知事選出馬にクエスチョンだったあの頃。しかし彼が放置されてきたしまくとぅばに光を当て、ウチナーンチュウシェーテー ナイビランドーと、イデオロギーよりアイデンティティ言語化してみせた人間であったこと。「安保に賛成するならば平等な基地負担を」とヤマトに迫った在りし日の姿。私も変わり彼も変わったのだと、それは原体験としてポジショナリティを語れるようになったきっかけでもあったかもしれない。パイプ椅子に登ってようやく私と同じ背になる息子と肩を組みスクリーンを見て「私たちの知事は翁長さんだったんだよね」と語り合った。