Shinakosan is Okinawan

1981年沖縄市生まれ、那覇市(のはずれ)育ちのウチナーンチュ。言語復興と脱植民地化が研究テーマ、琉球弧がフィールド。学生時代にルイジアナとハワイとロンドンに少し住んであとはずっと沖縄、時々旅人。琉球犬と暮らすのが夢、好きなそばはゆし豆腐そば。ビールとワインと泡盛があればだいたいハッピー。

沖縄に海外移民資料館作りたい

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フォーラム会場近くにJICA横浜の海外移民資料があった。「横浜赤レンガ倉庫の近くにあるからいつか行ってみなさいね」と大学院時代に石川友紀先生のクラスつと沖縄の移民史について学んでいた頃言われたことを思い出し、フォーラム開始前に立ち寄ってみた。

残念ながら月曜休館、月曜が祝日なら次の日が休館というルールだったようで、展示は見られなかったけど資料室を見せてもらった。沖縄関係の本もたくさんあった。案内してくれた方に「沖縄からは南洋や日本にも出稼ぎに行きましたがその資料もありますか」と聞いたが「沖縄から日本は国内なのでありません」という回答だった。

夜、いただいた資料に目を通したが、数ある資料の中でウチナーンチュが登場するのはごくごくわずかなものだった。例えばペルーに移民した日系人のうち70%はウチナーンチュにもかかわらずペルーがテーマの冊子にウチナーンチュは出てこない。やはり視点が違うわけだから、日本人の歴史に沖縄を包括するには無理がある気がした。沖縄にもちゃんと海外移民資料館を作らないといけないんじゃないかなと感じた。そのことを一緒にペルーに行った新川美智代さんに伝えると「47都道府県の一つととらえると私たちの歴史は埋もれてしまいないものにされてしまう」と返信がきた。一次資料は沖縄に置き場がなくヤマトで保管しているものも多いとのこと。

海外移住資料館の展示案内パンフレット「われら新世界に参加す」の53ページ、「移住者たちの語る移住体験-証言映像より」には、戦後移民でボリビアに渡った1世の幸地広さんの話が載っていた。移民先でも国境の狭間に立たされ切り捨てられてしまったウチナーンチュの歴史。彼の話を日本の移民資料館はどのように捉え語り継いでいるのだろうか。